
タレントとしてバラエティなどで活躍中のデヴィ夫人。
そんなデヴィ夫人は、いつも辛口なコメントで芸能界ではちょっと怖い存在のような印象を持たれているようですが、実は若い頃のデヴィ夫人はとてもきれいでハーフみたいだったそうなんです。
今回はそんな「きれい」と話題のデヴィ夫人の若い頃について、徹底調査!
若い頃のデヴィ夫人は何をしていたのか、どんな性格だったのか色々とご紹介していきます。
デヴィ夫人のプロフィール
誕生日:1940年2月6日 79歳
血液型:A型
身長:159㎝
出身:東京府東京市麻布区霞町(現在の東京都港区西麻布)
特技:水泳
所属事務所:株式会社デヴィーナ・ソサエティ
日本で開催されたパーティーにて、後に夫となるスカルノ元大統領と出会ったデヴィ夫人。
そんなデヴィ夫人の美貌に一目惚れしたことがきっかけで、デヴィ夫人が22歳の頃に元スカルノ大統領と結婚。
デヴィ夫人は第3夫人となりました。
そして、1965年9月に軍事クーデターによりスカルノ元大統領が失脚。
1967年にはスカルノ元大統領との間に娘・カリナが誕生しフランスに亡命するも、3年後である1970年にスカルノ元大統領は亡くなってしまいます。
スカルノ元大統領が亡くなった後は、1991年にアメリカ・NYに移住、その後日本へと帰国し、タレントとして活動するなど日本での芸能活動をスタート。
芸能活動では1994年に矢沢永吉主演の映画「キャロル」への出演やするなど女優としての活動もありましたが、現在は「世界の果てまでイッテQ!」をはじめとする、様々なバラエティ番組に出演しています。
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デヴィ夫人、若い頃の画像がめちゃくちゃきれい!
辛口コメントで芸能界のご意見番としても知られるデヴィ夫人。
その一方でバラエティ番組ではお笑い芸人のように体を張る姿を見せるなど、70代とは思えないバイタリティで芸能界で活躍し続けています。
そんな現在も現役バリバリで活躍している、デヴィ夫人の若い頃をみなさんご存知でしょうか?
恐らくほとんどの人が現在のデヴィ夫人しか知らないと思いますが、実はデヴィ夫人の若い頃はめちゃめちゃきれいだったんです!
その驚きの若い頃というのが、こちら!
めちゃめちゃきれいですよね!
こう言ってはなんですが、とても同一人物とは思えないレベル・・・。
ちょっと今のデヴィ夫人の姿からは想像できない美人さです。
しかし、こんな美貌を持ったデヴィ夫人って若い頃何をしていたのでしょうか?
インドネシアのスカルノ元大統領と結婚していた人というのはわかりますが、それ以前の経歴って意外と知らない人が多いようです。
次はそんなデヴィ夫人の若い頃の経歴についてご紹介していきましょう。
デヴィ夫人、若い頃一体何をしてた?
若い頃は誰もが驚く美貌を持っていたデヴィ夫人ですが、スカルノ元大統領と結婚する前は一体何をしていたのでしょうか?
気になるデヴィ夫人の結婚前の経歴について調べてみました。
デヴィ夫人は、15歳の頃映画「青ヶ島の子供たち 女教師の記録」という作品にエキストラとして出演。
そして中学を卒業後、定時制の高校に進学すると同時に、千代田生命保険(現在はジブラルタ生命保険)に入社。
しかし1956年に父親が亡くなったことから高校を中退し、赤坂の有名高級クラブ「コパカーナ」に務めたといいます。
驚くような美貌を持っているキレイなデヴィ夫人ですから、きっと高級クラブでも売れっ子だったでしょうね!
しかもこの高級クラブは日本や海外の政治家などVIPが通うとされるクラブ。
そんな高級クラブに務めていたデヴィ夫人は、政財界のフィクサーとも呼ばれていた児玉誉士夫から見出され、19歳の頃に「インドネシアへの開発援助事業」への日本の参入において、”東日貿易の秘書”という名目でスカルノ元大統領へと送り込まれたと言われています。
デヴィ夫人はいわゆる「捧げ物」として、日本国民のために犠牲となったんですね。
女優から保険会社、そして高級クラブ・・・デヴィ夫人は若い頃もかなり波乱万丈な人生を送っていたようです。
デヴィ夫人、そもそも何人?ハーフなの?
デヴィ夫人の若い頃が相当キレイだったことは、画像を見てもお分かりだと思いますが、若い頃の画像を見ると日本人離れした感じで”ハーフなの?”と思う人もたくさんいるのではないでしょうか?
また、デヴィ夫人の経歴を知らない人にとっては「そもそもデヴィ夫人って何人なの?」と疑問を抱く人も少なくないことだと思います。
しかも、名前もデヴィ夫人という外国人のような名で芸能活動していますし、若い頃の画像がこのような美しさであればハーフだと思うのも無理はありません。
しかし、デヴィ夫人はれっきとした日本人です。
結婚する前の旧名は「根本七保子(ねもとなおこ)」という名前だともわかっています。
また、デヴィ夫人の両親も純粋な日本人であり、出身も東京であることからハーフではないということもわかりますね。
私も「この堀の深さは絶対ハーフ!」と思っていましたが、純粋な日本人だと知って驚きました!
ちなみに、スカルノ元大統領との結婚後はインドネシア国籍となっているので、そういった意味では外国人になりますね。
デヴィ夫人、毒舌なのは若い頃から?
デヴィ夫人といえば、やはり真っ先に思い浮かぶのは「毒舌」「辛口」といったちょっとキツイ印象ですよね。
様々なテレビ番組でその毒舌っぷりを披露しているので、デヴィ夫人=怖いというイメージを抱く方も少なくないと思います。
現に芸能界の出来事に意見を言う、いわゆる「ご意見番」的なポジションでもありますし、嫌いと思ったら共演NGにしたりという驚きの行動に出たりと、何かと毒舌づいているので芸能界でもある意味怖い存在として捉えられているようです。
そんな毒舌であるデヴィ夫人ですが、若い頃からその毒舌っぷりが健在だったのかはわかりませんが、デヴィ夫人の経歴からするにとても波乱万丈な人生を送っているので、現在の毒舌っぷりはそんな波乱万丈な人生からなのかもしれません。
また貧乏な幼少期から抜け出すために、人生を自らの手で開拓していったデヴィ夫人ですので、負けん気が強い性格なのは確かではないでしょうか。
続いては、そんなデヴィ夫人の性格についてご紹介していきたいと思います。
デヴィ夫人、性格の気性の荒さは若い頃から?
デヴィ夫人といえば、気性の荒い性格でも知られていますが、過去には傷害罪で逮捕されたり番組で一般人女性に平手打ちをしたりなど、怒ると手がつけられないと言われています。
また、こういった性格に加え毒舌がプラスされるわけですから、相当気性が荒い性格なのかもしれません。
デヴィ夫人は幼少期の頃、とても貧しい家庭環境でかなり苦労していたそうですが、そんな貧しい中でも「貧しさに勝つ」「日本から世界に羽ばたく」「権力者と結婚する」などといった目標を掲げ、実際にその願いや目標か叶えられています。
それが気性の荒い性格とはつながるわけではないですが、そういった強いハングリー精神を持つデヴィ夫人は若い頃からやはり負けん気の強い性格なのだと思います。
自分の力でここまで人生を切り開くというのは、並大抵なことではありません。
デヴィ夫人の気の強さ、自信、負けないという強い想いがあったからこそ、現在のデヴィ夫人があるのです。
気性が荒い性格というのも、こういったハングリー精神の強さやあふれる自信から誤解を生んでしまうのかもしれませんね。
デヴィ夫人、なんだかんだで人気者
毒舌や気の強さから、デヴィ夫人を受け付けないといった人も中にはいるかもしれません。
私もテレビでの発言などを見て「ここまで言わなくても」と思うことはよくあります(笑)
そんなちょっと怖いイメージのデヴィ夫人ですが、実はバラエティ番組などで過酷なロケに行って体を張るなどお笑い芸人のようなこともしているのです。
普通これだけセレブの人がいわゆる汚れ仕事的なことは断りますよね。
しかし、デヴィ夫人は視聴者に楽しんでもらいたいと「世界の果てまでイッテQ」などでは、相方とも呼ばれている出川哲朗と共に、過酷なロケにも果敢に挑み私たちを楽しませてくれています。
デヴィ夫人と出川哲朗のコンビは視聴者からもとにかく人気で、ネット上でも話題になっているのだとか。
デヴィ夫人は出川哲朗のことを「仕事ができる男」と絶賛しているようで、番組でもいいコンビっぷりを見せてくれていますよね。
時には毒舌で周囲からあまりよく思われていないこともあるデヴィ夫人ですが、バラエティでのデヴィ夫人はなんだかんだで人気者なようです!
まとめ
芸能界のご意見番で知られているデヴィ夫人。
若い頃があんなにも綺麗だとはかなり驚きましたね!
周囲からは気性が荒くキツイと思われがちではありますが、皆なんだかんだ言いつつデヴィ夫人の毒舌を楽しんでいるのかもしれません(笑)
今後も、その毒舌ぶりで私たちを楽しませていってほしいですね。
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